これから数回に渡って、弊社代表おおばやしによる「ダイバーシティとは何か」コラムを掲載します。
まずはじめに、私は、「政治経済」「政経」という名称があるように政治と経済は切り離せないものと考えるため、これらの視点のダイバーシティについて同時に述べます。
そしてそれと分けて、いかなる国家も政治も介入できない、人が生まれながらに持つ絶対的な尊厳と権利である「人権」視点としてのダイバーシティをまた別の回で取り上げます。
不可侵である「人権」が、多様なあらゆる個人個人の尊厳と自由を守ることを大前提として、どれだけ政治は経済を盛り上げ、国家を持続繁栄させ、多様な人々を差別なく幸せにできるのか?…というのが、日本を含め多くの国が長らく抱えているテーマです。(多くの国というのは、人権を重視しない国があるため)
さて、政治経済で見るダイバーシティ(多様性)とは一体何でしょうか。diversityを辞書で引くと…
多様性。相違点。
企業で、人種・国籍・性・年齢を問わずに人材を活用すること。こうすることで、ビジネス環境の変化に柔軟、迅速に対応できると考えられている。
携帯電話などで、複数のアンテナで電波を受信し、受信状況の良い方を使う技術。
3は置いておいて、2のように、企業で様々な人材を活用をすることで、世の中の変化に適応したり、課題解決力が上がったりする、という代名詞でダイバーシティが用いられています。もともとdiversityはアメリカなど人種や宗教的差別問題が深刻な国で、人権尊重目線で使われ始めた言葉なので、日本では特に労働経済名目で使用されてきたことがわかります。
それでは、日本ではいつ頃2の意味で使われ、定着するようになってきたのでしょうか。
私の知る限り、2001年に日経連が発表したものが、もっとも大きな始まりであるかと思います。
▼ダイバーシティとは「多様な人材を活かす戦略」である。 従来の企業内や社会におけるスタンダードにとらわれず、多様な属性(性別、年齢、国籍など)や価値・発想をとり入れることで、ビジネス環境の変化に迅速かつ柔軟に対応し、企業の成長と個人のしあわせにつなげようとする戦略。
日経連ダイバーシティ・ワーク・ルール研究会報告書(2001)
2001年の報告ですから、なんともう20年も前ですね。それくらい前に、性別・年齢・国籍の多様な人を雇っていこうよ、そうしたら企業が発展して、人も幸せに生きられるよ。ということを、日経連という日本経済の総本山にもあたるところが話し合っていたわけです。
経済目線で、人を活かして、しあわせに…。20年も前に。正直、ふしぎではありませんか。なぜでしょう?
日本の労働経済から見えてくる「ダイバーシティ」
ここで、時代背景を見てみましょう。
この研究会が発足した2000年といえば、好景気で沸きまくっていた日本経済のバブルが崩壊(1991-93年頃)して、すごく大きな証券会社や有名銀行が続々と嘘のように経営破綻(1997年頃)した後あたりです。
詳細は省きますが、これまで、世界がオイルショックで不況のときでも失業率がとても低く(1%台)、一度雇われたら昇進しながらずっと働ける終身雇用+年功序列という夢のような仕組み、戦後、高度経済成長期の目の覚めるような発展で「Japan as number 1」と海外から賞賛され(半面economic animalと批判もいっぱいされました)、キラキラに輝いていた日本経済は、バブル崩壊をきっかけにガタガタになりました。
「人員の”整理”」を多少やわらげた「リストラ」(re-structuring、再構成の略)という残酷な言葉とともに、全国で5%もの人が解雇されました。
企業は経費節減のため人を雇い入れなくなり、新卒採用ゼロの企業が激増し、有名大卒の人にも就職先はなかなかありませんでした。私もこの世代なのですが、80社受けてどこからも採用されなかった、という知人がいます。
これが2000年前後の就職超氷河期、のちにロスジェネ(lost generation、失われた10年)と言われる世代がその後の人生にも大きな打撃を受けた、2000年頃に起こった出来事です。
2000年頃がこんな激動かつ経済急冷凍の期間として、先述の日経連によるダイバーシティ宣言(2001)は、なぜこのタイミングで発表されたのでしょうか…?
(第2回へ続く)
時代背景参考資料:東京労働大学総合講座 人事管理・労働経済部門(労働政策研究・研修機構)2017
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