戦後1955年頃からバブル崩壊後2000年前頃までの40年ほど、多くの企業と労働者は、暗黙でこんな約束をしていました。
「うちの会社に入ってくれたら、新卒で何もできない状態から大切に育てていくし、能力がつくし、どんどん昇進・昇給していきますよ。退職金も出すし、一生食いっぱぐれさせませんよ。でもそのためには身内として会社のために貢献してほしいし、多少の異動や残業や転勤も、仕事として受け止めてくださいね、みんなで心を一つに頑張りましょうね」
戦後日本のめざましい経済成長は、この約束を信じてがむしゃらに頑張った労働者の努力と、労働者を辞めさせない・給与を上げるために頑張った企業の努力の結果です。
とくに車など製造業は、1日あたりの時間と労力をかけるほど労働生産性が上がり、利益がたくさん生み出せますから、日本経済の発展により貢献しました。それでも、24時間がむしゃらに働く勢いでも、会社と社員との間に信頼関係があり見返りがわかっていたために、可能だったのです。そして60才あたりで定年退職して、退職金を得て老後を夫婦でのんびり…というのがそのころ一般化した将来像でした。
想像をしてみると…
さて、ここで一時停止をしてみると、気づくことがあります。
「会社のために長時間身を粉にして働く」超献身的な働き方の型に〝そぐわない”と判断される人たちのことです。たとえば、健康に問題のある人たち。「子どもを産み育てる可能性のある」「体力の比較的低い」女性。「みんなと同じように動けない」身体に障害を持つ人たち。あるいは、無理のできない高齢者。「日本労働者的スピリットがわからず、言語による意思疎通が難しいであろう」外国人…
高度経済成長期、多くの女性が「専業主婦」(言葉は1973-74年頃定着)として、一家の大黒柱である夫を支える・家庭を守るという役割を、合理性から担うようになりましたし、政府も「母親は家庭に帰れ」とキャンペーンを行いました。戦前と戦後すぐは農業など第一次産業の従事者が多数だったため共働きが主流で、また戦争に赴いた男性たちに代わり、軍需産業や国内の経済を停滞させないための労働に従事していたのは女性たちだったので、逆への大きな転換ですね。これは日本に限らず西欧でも見られた動きです。
今からはとても考えられませんが、1960年代に「若さと美しさが絶対条件」「職場の新陳代謝を促進する」と女性の定年退職の年齢が25才であった企業もありました。男女で定年の年齢差がない企業がほとんど(85%程度)ではあったものの、「結婚したら一か月以内に退職する」という誓約書を書かされたり、「女子の就業に対する心構えは男子とは異なって“会社と運命を共に”しようという意識は殆んどみられない」(だから1年しか使わない)とした人事部長もいます。女性の結婚退職を『寿(ことぶき)退社』と、めでたいものとして扱ったのもこのあたりですね。そしてしばらくの時を経て1986年に、性別で雇用の機会に差をつけないという、男女雇用機会均等法が欧米先進国に追いつけと施行されました。
その頃の世の中の空気感として、ある年齢を過ぎると働きづらくなるため、結婚しなくては生きていけない、「結婚しなきゃ…」と、25才を過ぎて独身だと「(25日を過ぎて売れ残った)クリスマスケーキ」と呼ばれたりもして、生き方と働き方の選択肢が狭められていた女性たち。同時に、会社のため、家族のために仕事一筋という同調的な空気の中で生き働いた男性たち。彼らも「結婚しなきゃ…」「独身だと不利になる、できないやつと思われてしまう恐怖」であったでしょうし、良い悪いは別にしても、会社・仕事にささげた個人の人生の部分はいかほどかと思います。その意味で男性もまた、決して生き方の選択肢が多いわけではありませんでした。
LGBTQ+の人々は、その役割同調的空気の中、怖くてとても周囲にカミングアウトできないどころか、自分の性的指向を詳しく知ったり、ありのままの自身を受け入れるということすらできずに、耐えながら隠しながら、時に形式的に結婚をして、自分を偽って生きるしかなかったのではないかと、想像します。
ここで書き切れずもどかしいのですが、同様に高齢者、障害者や外国人もまた労働で活躍する場を制限されました。
女性・男性・〇〇だから能力が…というより、時代ごとの解釈
歴史を見てみれば、その時の経済のありかたが、人の生き方・働き方に大きく影響するのであって、それは常に変化するものです。決して、生まれながら能力が優れているとかいないとか、「古来からずっと変わらない慣習だった」という絶対不変のものではありません。この頃の性別的役割にまつわる呪いが、まだ今も残って(本当の)ダイバーシティを疎外しているということが、個人的にはとてもやるせなく思います。
1950年代からの40年は、一致団結ベースの発展のために同質性を求められた人たちと、それを支える側にまわった人たちの、「役割による分断」の時代であったといえるのではないでしょうか。
(第3回へ続く)
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